人は誰もが、お金教の信者。

前回のブログ記事でお金の話が出たので、お金というものについての自分の考え方を書いておきたいと思います。お金というものは何なのかを自分の頭でよ〜く考えることになったきっかけは、何度も書いてますが2003年ごろ自分改造計画を実行してた時に、ロバートキヨサキさんの有名な本「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでから。

 それまではお金というものが何なのか自分の頭で考えたことすらなく、ましてや学校で習ったことも当然なく、多くの人と同じように自分の親が持っていたお金というものに対しての考え方をそのまま疑いなく信じていました。

 自分の親がお金に対して持っていた考え方は、どっちかと言うとわりと清貧思想というか、お金は汚いものだから貧しいほど清らかであるという考えでした。そして、お金は楽して稼いじゃいけない汗水垂らして苦労して稼ぐものという考え方でした。だから20代の頃は食うのに困るほどではないですが、お金…なかったですね、笑。

そして2003年の30代前半の頃に「金持ち父さん貧乏父さん」の本を読んで、お金というものは何なのかをそれまで考えたことすらなかったことに衝撃を受けました。それからお金についてのいろんな本を読み、お金とは何なのかを自分なりの頭で考えて、その時に答えは一応出ました。でも人生というものは知識では分かっても、やはり実体験が伴っていないとそれが智慧にならないので、その後の人生のいろんな実体験を経ながらお金というものについて勉強をしてきました。

お金とは何なのかと問われれば、今ならばはっきりと答えられます。それはエネルギーの一つであると。お金自体に良いも悪いもなく、ありがとうと良い氣持ちで循環させてあげればまた良いお金(エネルギー)が入ってくるけれど、不安や恐怖から溜め込むとそのエネルギーは滞ります。それは流れる水は腐らないけど溜まった水は腐敗するように。それが自然(宇宙)の法則なんだと思います。だから幸せなお金持ちの人はそのことを分かっていてそうします。

以前友達がフェイスブックでシェアしてたんですが、どこの記事だったか忘れましたが、「人は誰もがこの世に生まれた瞬間からお金教の信者になる」という内容でした。この記事を読んで、なるほど確かにそうだよなと思ったことがあります。現代社会ではお金が神であり絶対的なものです。世の人の多くの悩み、不安や恐れの原因はお金に起因することがほとんどです。誰もが幸せになるためにもっともっと欲しいとお金に翻弄されています。自分の今までの人生を振り返っても、お金にはほんとにいろいろと勉強をさせてもらいました(笑)。

でもよくよく考えてみたら、お金は神ではなく紙でありモノとモノの交換券です。お金自体には価値がなく、それに価値があるとみんなが思っているから価値があるわけで、「お金がないと生きていけない」とか「お金を稼がずにどうやって食っていくんだ」とか自分も若い頃さんざん周りの人に言われましたが、人はどうやって生きているのかと言えば、水を飲み空気を吸い食べ物を食べ、そして人と人とがつながり、愛と感謝のつながりの中で生きているからなわけで、お金のために経済発展のためにと人間が生きて行くために必要な水と空気と土を汚し、食べ物を産み出してくれる海や川や山などの自然環境を壊してしまってるのは本末転倒ですよね。

でもなんでそうなるのかは分かっています、それは一人一人の人間の中にある得体の知れぬ欠乏感、不足感、恐怖恐れ不安といった満たされない氣持ちがあるから。

時代が変わる大転換期では、それまでの時代の中では絶対的であればあったものほど次の時代では何の価値も持たなくなります。今までの時代では絶対的であったお金というものが次の時代では何の価値も持たなくなる可能性は大いにあると思っていて、でも個人的にはそのことを何も心配していません。

一粒万倍といって、春にまいた一粒のタネが秋には何倍もの実をつける、それが自然界というものです。ほんとにありがたいことに人間が生きていくために必要なものはこの世界の中にはすでに十二分に用意されています。

 得体の知れない不安や恐怖、不足感、欠乏感は一人一人の中にある分離意識が原因で、それを一人一人の中心にある万物創造の愛の意識にみんなが氣づいた時が、この世界はすべてが満たされていたんだとみんなが氣づく時、恐れや不安や恐怖は自分が創りだしていたんだ、そんなものはなかったんだと氣づく時。その時にはお金の価値がゼロになったとしても、もうそれは必要のないものになるでしょう。やはり人類が一つ上のステージに進むために今までのクリアすべき必ず通るべきステージには、お金というものが必要必然であったのだと思います。お金様、今まで本当にどうもありがとう。

…と散々偉そうなことを書きながらも、お金が必要な世界はまだまだ続く可能性もあるので、今現在どうやって現金収入を得て生活して行くかももちろん考えてます、笑。

宇宙は愛で出来ていた②

宇宙は愛で出来ていた①の続きをようやく書きます。

おそらく事細かに書いていくと本が一冊書けるくらいの内容になるので(笑)、できるだけ簡潔にまとめます。以前も書きましたが宇宙とは?人生とは?という問いに対する現時点での自分なりのひとつ答えなので、これが絶対だなどという氣はありませんが、何かの参考になればと思い記します。

よく言われる、すべては一つであるというワンネスという概念が感覚では分かっていたけど、自分の中で左脳的な理屈で理解できたのがフラワーオブライフや神聖幾何学というものを知ってからと書きましたが、ではフラワーオブライフとは何なのか?

これです↓

世界中の古代の遺跡、神殿、食器の模様に使われていたり、レオナルドダビンチも書いていたり、日本だと神社の駒犬の足下にあったり、籠目紋や麻の葉紋様として玄関先の魔除けや、古くは生まれたばかりの赤ちゃんのおくるみとして使われていました。なんでこの紋様がいろんなところで使われていたのか、それはこの紋様からエネルギーが出ているからでしょう。

イラストレーターを使って自分で作ってみました。

自分の出した結論から言うとこれが宇宙です。宇宙であり星であり地球であり人間であり、動物であり植物であり微生物であり、この世界を構成している物質の最小単位の素粒子です。

二次元の平面だと分かりずらいですが、このフラワーオブライフを三次元の立体で表したものが以前の記事でもご紹介した神聖幾何学です。

実際に自分で綿棒を使って図形を造って(創って)みると分かるのですが、図形の中心部、真ん中が少しでもずれると綺麗な形、綺麗な円形にはならないんです。中心部分をいかに狂いなく正確に造れるかがすごく難しんです。そしてさらに氣づくことは、ひとつひとつの円形の中心部分はすべての円形とつながっていて、大きな円の中心にすべてつながっているんです。そう、これはひとつひとつの円がひとりの人間であり、たくさんの円がつながって、ひとつの大きな円ができたものが宇宙ではないかと。

この宇宙はすべてフラクタル(相似形)であるということ。一人一人が宇宙の中心であるということ。すべてはつながっているワンネスであるということ。これらのことがフラワーオブライフと神聖幾何学で説明できるんじゃないかと氣づいたんです。

人間のエネルギー帯を表すトーラス構造というものがあり、自然界のいろいろな植物にも見られるものですが、これも人間の丹田、お腹を中心とした円形の循環するエネルギー構造を表したものです。人間をエネルギー帯でみると、円形の循環する丸い輪のように見えます。人間だけでなく宇宙も動物も植物も鉱物も微生物も素粒子も。

水の結晶が人間がかける言葉により綺麗な形になったり崩れた形になるのもこれで説明出来ます。

自分達は永い永い間、偉い人(存在)が頂点にいて、その下に自分達の庶民がいるというピラミッド構造の意識を刷り込まれていますが、そうではなくやはり一人一人が宇宙の中心であり、自分の中心に戻ることが宇宙の中心とつながることだったという意識の大きな転換が起こります。

一般的な家族というものを例に出すと、一番偉い父親がいてその横に母親がいてその下に子どもたちがいるというピラミッド構造を思い浮かべますが、でもエネルギーで考えると、父の輪と母の輪と子どもたちの輪が重なって、家族というひとつの丸い輪(円、縁)があり、上も下もないということが分かります。いやむしろ子ども達のほうが今の社会の常識や邪念を刷り込まれていない分、より自分の中心、今ここを生きているので綺麗な丸い輪を描いていたりします、笑。

一人一人が自分が宇宙の中心であると意識する、今まで刷り込まれた社会の常識や分離意識に従うのではなく、魂の中心にある本当の自分を生きる、そうすると人間一人一人、家族、社会、国、世界、地球そして宇宙に綺麗な丸い花が咲きますね〜

昨年末に得た個人的な気づきをシェアします。#1 ―身土不二という意味。世界を変えるには自分から

今年最初のブログ投稿です。遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。昨年末から年明けにかけて風邪をひいて40度の熱が出てしばらく寝込んでいました。。

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