常識は常識ではなかった。

現代科学の世界で最先端で研究されている量子学という学問があります。携帯もパソコンもAIも世の中のあらゆるものは進化をしていますが、当然、科学の学問の世界も日々進歩進化しているんですよね。

ところが自分たちがむかし学校の授業で勉強した科学なんですが、最先端の科学が学校の教科書に載るのに100年はかかるそうで、ということは100年前の科学の世界で言われてたことを自分達はむかし一生懸命勉強していたようです。科学的であるかないかを絶対の指針として、科学的でないものは、嘘だ、怪しい、信じられないという考えを多くの人が持っています。が、その絶対的な指針となる自分達が信じている科学が、実は100年前のものだった…ということに多くの人が氣づいていません。ということを実は昨年ぐらいに自分も知りました、笑。

この最先端の科学である量子学とはいったいどういうものかを簡単に説明すると、「この世の中は量子と呼ばれる波(波動、周波数)で満ちていて、人間の意識が介入した時に初めてその波は目に見える粒となる。」というものだそうです。このことが最先端の科学の世界では証明されているそうです。ようするに人間の意識がすべてを創りだしているという、 今までなら宗教や精神世界で言われてたようなことが、今では科学的に証明されていると。 仏教で言われている色則是空という概念、目の前の現実は自分の意識が創り出したホログラム、映像であるということが、最先端の科学では証明されているということです。

ということは現代の多くの人が持っている物事のすべての絶対の指針となる、むかし学校で教わった100年前の科学の概念をいま捨てなければなりません。 実際、相対性理論を提唱したアインシュタインですら、実の娘に宛てた手紙の中で、「父さんの証明した理論は間違っていた。この世界は愛で出来ていた。」などと書いているそうです。

これから世の中が大きく変わり、今まで常識だと思っていたことが非常識にと価値観の大転換が起こっていくと思いますが、いま自分達が信じている常識は常識ではなかったと頭の中身を柔軟にしていく必要があります。以前ブログにも書いた(https://ameblo.jp/masaayan/entry-11746682612.html)、世の中が変わる転換期に必要なことは、古い価値観にしがみつかずにそれを手放すことなんだと思います。

田植え2020

今の家に引越してきてから今年で三年目のお米づくり。振り返ると自分の人生の中でのお米づくりは今年で七年目となりました。

一年目は2011年。千葉県南房総市の休耕田を借りて、無謀にも鍬とスコップのみの人力で耕して苗は一本植えというスタイルでやったのが最初です。収穫できたお米は5kgと散々でしたが、初めて自分でお米をつくったその味は感無量でした。二年目は同じくその南房総市の田んぼで一年目の田んぼのすぐ近くの5畝ほどの田んぼをお借りして、ご近所の田んぼの師匠にいろいろと教わり、この年はうまく出来てたくさん収穫できた記憶があります。

そして三年目は三重県熊野時代に、むかし棚田だったという山の中の一部をお借りして、これまたスコップと鍬で一から開墾して田植えまではなんとかこぎ着けたのですが、田植えの後すぐ、シカに植えたばかりの稲を全部食べられるという悲劇、あえなく終了。四年目は同じくその山の中の開墾した棚田で、獣害対策をして秋には収穫までこぎ着けたのですが、驚くことに実った籾の中は実がほとんど入っていなかった、涙、ということがありました。こんなことがあるのかとショックでしたが、たぶんお米に花が咲いて実をつけていく時期に虫にやられたのではないかと。

そんなこんなで、いろいろと経験と失敗を重ねながらも、いままでお米づくりに携わってます。

自分がよく読んでるブログで紹介されていた、自給農法の講師、市川ジャンさんという方の言葉が個人的に最近とても胸に響いてます。

100人いれば100通りのやり方があり〇〇農法という誰かのやり方を真似ただけではうまくいかない。田んぼも畑もそれをやる人の感性や感覚が大事。

というような内容だったかと思います。

今やっている田んぼですが、子どもが生まれたばかりという状況もあり、昨年まではわが家のお隣りのお米農家のくら里木さんに、トラクターで耕運から代掻きまでお膳立てをしてもらって、さああとは田植えからというスタイルでやってましたが、今年からは苗作りから耕運代掻きまで全部自分でやるスタイルでやってます。

全部自分で段取りを考え試行錯誤しながらやってみると、やはりなんでもそうですが、実際に自分で手取り足取りやってみて初めて自分の身になるんだなあってことを感じています。

環境や気候の違いなど、その土地土地に適したやり方も様々、マニュアルはあくまでマニュアルであって、何事も教科書どおりには行きません。最後は、結局やってみたその人の感性、感覚、経験則に勝るものはないんだろなと感じています。

そういう意味では、今やっている田んぼが今年で三年目ですが、自分なりの方法、スタイルがなんとなく見えてきた感じです。

無農薬、無肥料(EM醗酵液は使用)、手植え、手刈り、はざがけ、というスタイルで、今年も感謝と喜びの中、お米づくり楽しんでいきます。

鶏を飼う

今回のコロナ騒動が、自分達夫婦が理想とする暮らしを実現させるためのスイッチになったと以前から書いてますが、その理想とする暮らしの中の一つに鶏を飼って卵を自給するというものがありました。これは前々からの夢でいつか鶏を飼いたいと想いながらも忙しさを理由に先延ばしにしていたことで、これも実際に今回やってみようとついに舵をきりました。

でも、どうやって飼えばいいのかまったく知識がなく、ネットで調べても詳しい情報に出会えず、まずは本を買って勉強してみることに。

飼うのならやはり平飼いの自然養鶏でやりたいのでネットで調べて良さそうな本をゲットしました。今回買ったのは、農文協から出ている、中島正さんという方が書かれた「自然卵養鶏法」という本。買ってから知ったんですが、この本、自然養鶏家の間ではバイブルと呼ばれている本で、30年前に初版の古い本ですが、その内容はなるほど、正に今のこの世の中に必要とされるような内容が書かれてありました。

養鶏のやり方は全体の内容の三分のニ程度、その他はこの著者の思想的な内容が多く書かれてあり、この方の考えや思想が安藤昌益や自然農の福岡正信さんにも通ずるような考えで、自分的にも前々から考えていたこととほぼ同じ考え方で、末永く手元に置いておきたいと思う本でした。

その内容を簡単に少し説明するため、本の中から内容を少し抜粋します↓

自然卵とは、「自然の恵みを充分鶏に与え、薬剤不要の健全な母鶏から生まれる卵」をいう。「薬を与えず、自然を与えよ!」これがわれわれの合言葉であった。「自然の恵み」とは、具体的にいえば空気、日光、水、大地、緑草である。

かつては「石油と輸入穀物」は、企業養鶏の躍進を可能ならしめた最大の功労者であったのだが、今やそれは両刃の剣と化した。このとき自然循環型農業の一環として小羽数平飼い自給養鶏を採り入れるならば、いかなる事態に直面しようとも、大自然の続く限りそれは悠久の自立が可能である。

農業が、行政な商工業や消費者に振り回されることから脱出して、農業の自主性を確立するためには、「自然循環型」の自給農業を営まねばならない。そしてそのために最も必要なものは、畜産を農業の一環に組み入れることである。畜糞を田畑や草地に還元することによって作物や雑草を育て、そしてそれを、あるいはその残滓を家畜のエサに与えるーこの循環を続けるかぎり、行政や商工業のお世話にならなくとも、農業は自立できるのである。

農家人口はもっと(はるかに)ふやさねばならない。そして第三次産業人口は思いきって減らさねばならない。そのための失業者は必須産業へ(エネルギーを節約し再生産のできる原料を用いた手づくり産業へ)、農村出身者日すべて帰農、手で草を取り、家畜を飼い(小羽数平飼い養鶏)その畜糞を田畑へ施し、手間をかけて、努力を払って、清浄な農産物をみんなでつくるのである。

「中東紛争」と「異常気象」は、石油と穀物の輸入がつねに安泰ではあり得ないことを示唆した。もちろん政府のいうように、備蓄もあることだから「冷静に対処しなければならない」のであるが、しかし冷静に対処すはということは、「平気で浪費を続ける」ということではないはずである。中東紛争と異常気象は、急にいま危機がやってきたということではなくても、少なくともそれは将来への警鐘としてうけとめねばなるまい。いつなんどきこれに類したことが起こり得ぬかもわからないという戒め、他国の資源に寄りかかっていることかを、イザ鎌倉というときどんなに危険であるかを、われわれはこの際肝に銘じておく必要がある。

今ここほんとうの自分を生きる。

畑や田んぼで無心に作業をしていると、頭の中が瞑想状態になることがよくあります。その瞑想状態の時にふと想った、人が今ここを生きることについて書きます。

土というものは、植物や動物の死骸などの有機物が永い永い年月をかけて積み重なったものなんだそうです。何もなかった溶岩でできた太古の地球に土や緑が生まれたのは、今までたくさんの生命が生まれ消えその繰り返しのおかげなんだなと、土に触れては過去の様々なたくさんの生命に想いをはせてしまいます。

そして植物は今も変わらず大地に種を落とし、すべての生き物はその生命を未来に繋げることを綿々と続けています。過去があるから今がありそして未来に繋がっていく、土に触れてはそんなことを想ってしまいます。過去から未来へ続く一つのライン時間軸、その中心に今があると。

そんな流れから想いをはせるもう一つのことは、いまここ地球上に生きる同時代を生きる人達のこと。宇宙の歴史からみたら、いま地球上に生きている0歳の赤ちゃんも100歳の人もほぼ同級生、笑。同じ時代にこの同じ星で生きている奇跡のようなこと。争いあったり批判し合ったり喧嘩してる場合ではないと。世界中の人が手と手をとり合って繋がっているイメージが自分の中にあります。この横の繋がり、ひとつの水平のライン。

そして最後に想いをはせるのは天と地。天地人という言葉がありますが、天と地の間に人がいて、見えないものと見えるものの間に人は生きています。自分の中にある天意(あい)を感じ想い出し、この地球を地上天国、弥勒の世へとしていく役割、それが一人一人にあるのではないかと。これを上下のラインと言ってもいいでしょうか。

この上記の三つのラインが重なる中心に自分というものがいて、図形で言えばフラワーオブライフとか神聖幾何学模様の中心部。その中心を意識して生きる時に、自然と感謝の念が湧いてきて、ニュートラルなほんとうの自分に戻れるような氣がしています。

コロナから学んだこと

世界に変化を望むのなら、自らがその変化となれ ー インド独立の父 ガンジー

前回のブログ記事で、今回のコロナ騒動が自分の中で理想とする暮らしを実現させるためのスイッチとなったと書きましが、これに関する内容でもう少し書きます。

コロナで緊急事態宣言が出てからも三密とは縁遠い環境で暮らしている自分にとってはあまり関係がないように感じ、もっぱら畑と田んぼ作業に勤しんでいましたが、いま振り返るとやはり影響は受けていて、多かれ少なかれ恐怖や恐れによって自分の意識が支配されていました。

恐怖や恐れもこの世界を構成する一つの大切な要素でこれを完全に排除することはできないと思っていて、遊園地のお化け屋敷やジェットコースターに誰もが喜んで乗るように、恐怖や恐れはよりエキサイティングで喜びを感じさせてくれるための大切な要素。高次元からやってきた魂が、あえて制約の多いこの地球の三次元世界で肉体を持って生きることも、みんながこの世界を思いっきり楽しむためではないかと、笑。

ただ、恐怖や恐れは当然ここにあり、それを排除することは出来ないけれど、問題なのはそれに完全に囚われてしまってはいけないのだと思いました。自分の意識をどこに置くか、その選択の自由は一人一人にあるんだなと。

自分がどういう世界で生きたいのか、それを一人一人に問われたような氣がして、やはり自分ならば愛や喜びの世界で生きたいので、自分の意識をいつもそこに置いておくことが大切なんだと氣づかせてもらいました。

というわけで冒頭でガンジーの有名な名言を載せましたが、世の中のニュースや周りの状況がどうあれ、それに囚われることなく、大切なことはただ自分が理想とする世界をたった今から生きること、このことを最近意識しています。