結局、人は自分が信じているものの世界を生きている。

ブログを書いてなかった頃は全然そうは思わなかったのに、ブログを書き始めると不思議なことに書きたい内容がどんどんと頭の中に浮かんで来て、最近は書きたい欲求が止まりません(現在、1歳5ヶ月の息子のお昼寝の寝かしつけを家の離れの部屋でやっていて、この息子が寝ている時間がブログを書くのにちょうどいいんです)。

ブログを書き始めたら書きたいことがどんどん出てくる現象って、これって不思議なことではなく宇宙は常に循環しているという宇宙の法則から考えたら合点がいくことで、ブログを書くという行動を自ら起こす、それは自分からエネルギーや波動を出すという行為なので、出せば入ってくるということなのかなと。

考えてみるとこの「出す」という行為はとても大事なことだなあと思うのです。前回ブログで書いたお金の話でもそうですが、ありがとうと良い氣持ちでお金を循環させると良いお金がまた巡ってきます。

人間の体でもそうですよね。とかく現代社会ではテレビの健康食品の通販や、これを食べるのが体に良いという定期的なブームが起きて、やれ〇〇だやれ〇〇をたくさん摂ろうと喧伝され、とにかく食べることばかりがクローズアップされます。

でも多くの人の腸内環境は食品添加物満載、ポストハーベストの小麦過多の食事で悲鳴をあげています。腸内環境は人間の脳と直結してるという話も聞きます。だから食べることよりも先にデトックスというか、「出す」ことが重要だと思うのです。

ブログの文章を書いたり、人に話しをすることなども自分から「出す」という行為ですが、その前には「自分の頭で考えたり自分の心で思う」という行為が必要で、どういうエネルギーや波動を出すかの前提となる、この「自分の頭で考えたり自分の心で思う」ことがまたとても大事なことかなと。

個人的なことを書きますと、この「自分の頭で考える自分の心で思う」ということをずっと昔から人一倍意識して生きてきたつもりです。そのきっかけは今からちょうど30年前の大学一年生の19歳の時に、肺結核とC型肝炎をダブルで患いまして二ヶ月間入院するという出来事が起こり(→マサーヤンの公式サイトにめちゃめちゃ詳しく書いてます)、その時に生と死というものを病院のベッドでとことん考え、その時から『人に何と言われようと、人に何と思われようとも、自分の人生は自分が100%納得できるように生きよう。』と決めて、大学を卒業してからも、訳の分からない常識や世間体や人生とはこうあるべきだという一般論に洗脳されてたまるか、「俺は自分の人生を生きるんだ」と思いながら生きてきました。そのおかげで、今までを振り返ってもなかなか変わったユニークな独特な人生を歩んできたようです、笑。

そんな独特の人生を歩んできたつもりの自分からみると、この社会の洗脳システム(あえてそう言ってしまいますが)ってほんとすごいなあと思うのです。まず学校の教育というものは、答えありきで答えをどれだけ暗記するかで成績の優劣が決まり、自分の頭で答えを考える訓練を全くしません。あと、多くの人はテレビやマスコミの一方的に垂れ流される情報を鵜呑みにし自分の頭で考える余地すらありません。

個人的には2003年からテレビをみるのを止め、それからは世の中の動きを知るためにネットのヤフーニュースなどでニュースだけはチェックしてたんですが、今年の春ごろからネットのニュースをチェックするのもやめました。距離を置いて客観的に世の中のニュースだけはチェックしてたつもりですが、暗いニュースやあからさまに恐怖を煽るニュースに少なからず自分の氣持ちが影響されていたことに氣づき、それからはネットのニュースすらチェックしなくなりました。でもだからと言って現在なんの不自由なことも困ったことありません。あえて氣持ちが暗くなるものや波動の落ちるものを自分から無理してみる必要はなく、自分の氣持ちが明るくなるもの波動のあがるものだけみればいいと最近では思っています。

で、何が言いたいかと言いますと、現代社会に暮らす多くの人(自分も含めて)は、自分の頭で考えているようでいてそうじゃないことがたくさんあるなあということが言いたいのです。量子学的に考えると、自分が信じているものがその人の目の前の現実を創り出しているので、テレビやマスコミの情報を疑いなく信じているのならばその世界を生きることになりますし、自分の考えを持ち自分の感性や感覚とか自分自身を疑いなく信じているならば、その世界を生きることになります。

で個人的には昔から、テレビやマスコミの情報、誰かが言った2次情報、誰かが言ったことをまた聴きした情報、どこの誰が言ったか知らないような3次情報よりも、自分の目で見て自分の手で触って実際の自分の皮膚感覚で感じた1次情報を一番信頼して生きてました(だからこそリヤカーで日本一周歩いたりするのですが、笑)。

さらに、量子学や仏教的に見ればこの世はすべて幻、脳が創り出すバーチャルリアリティなので、自分の目で見たと言ってもそれすら曖昧なこと(笑)。だからましてや情報源の分からない2次3次情報を盲目に信じそれを自分の考えとしてしまうことは、とても残念なこと、もったいないことだなあと。誰しも人間一人一人の心の中心に万物創造の神の意識が宿ると自分では思っているので、人間が心の中で想像することはやがてそれは現実化します。だからそんなすごい力を人間一人一人が秘めているのに、その力を使わないのはもったいないなあと思うのです。

※自分がこういうことをブログに書いたからと言っても、あくまでマサーヤンはこういうことを考えたり思ったり信じているという2次情報ですので、笑。

人は誰もが、お金教の信者。

前回のブログ記事でお金の話が出たので、お金というものについての自分の考え方を書いておきたいと思います。お金というものは何なのかを自分の頭でよ〜く考えることになったきっかけは、何度も書いてますが2003年ごろ自分改造計画を実行してた時に、ロバートキヨサキさんの有名な本「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでから。

 それまではお金というものが何なのか自分の頭で考えたことすらなく、ましてや学校で習ったことも当然なく、多くの人と同じように自分の親が持っていたお金というものに対しての考え方をそのまま疑いなく信じていました。

 自分の親がお金に対して持っていた考え方は、どっちかと言うとわりと清貧思想というか、お金は汚いものだから貧しいほど清らかであるという考えでした。そして、お金は楽して稼いじゃいけない汗水垂らして苦労して稼ぐものという考え方でした。だから20代の頃は食うのに困るほどではないですが、お金…なかったですね、笑。

そして2003年の30代前半の頃に「金持ち父さん貧乏父さん」の本を読んで、お金というものは何なのかをそれまで考えたことすらなかったことに衝撃を受けました。それからお金についてのいろんな本を読み、お金とは何なのかを自分なりの頭で考えて、その時に答えは一応出ました。でも人生というものは知識では分かっても、やはり実体験が伴っていないとそれが智慧にならないので、その後の人生のいろんな実体験を経ながらお金というものについて勉強をしてきました。

お金とは何なのかと問われれば、今ならばはっきりと答えられます。それはエネルギーの一つであると。お金自体に良いも悪いもなく、ありがとうと良い氣持ちで循環させてあげればまた良いお金(エネルギー)が入ってくるけれど、不安や恐怖から溜め込むとそのエネルギーは滞ります。それは流れる水は腐らないけど溜まった水は腐敗するように。それが自然(宇宙)の法則なんだと思います。だから幸せなお金持ちの人はそのことを分かっていてそうします。

以前友達がフェイスブックでシェアしてたんですが、どこの記事だったか忘れましたが、「人は誰もがこの世に生まれた瞬間からお金教の信者になる」という内容でした。この記事を読んで、なるほど確かにそうだよなと思ったことがあります。現代社会ではお金が神であり絶対的なものです。世の人の多くの悩み、不安や恐れの原因はお金に起因することがほとんどです。誰もが幸せになるためにもっともっと欲しいとお金に翻弄されています。自分の今までの人生を振り返っても、お金にはほんとにいろいろと勉強をさせてもらいました(笑)。

でもよくよく考えてみたら、お金は神ではなく紙でありモノとモノの交換券です。お金自体には価値がなく、それに価値があるとみんなが思っているから価値があるわけで、「お金がないと生きていけない」とか「お金を稼がずにどうやって食っていくんだ」とか自分も若い頃さんざん周りの人に言われましたが、人はどうやって生きているのかと言えば、水を飲み空気を吸い食べ物を食べ、そして人と人とがつながり、愛と感謝のつながりの中で生きているからなわけで、お金のために経済発展のためにと人間が生きて行くために必要な水と空気と土を汚し、食べ物を産み出してくれる海や川や山などの自然環境を壊してしまってるのは本末転倒ですよね。

でもなんでそうなるのかは分かっています、それは一人一人の人間の中にある得体の知れぬ欠乏感、不足感、恐怖恐れ不安といった満たされない氣持ちがあるから。

時代が変わる大転換期では、それまでの時代の中では絶対的であればあったものほど次の時代では何の価値も持たなくなります。今までの時代では絶対的であったお金というものが次の時代では何の価値も持たなくなる可能性は大いにあると思っていて、でも個人的にはそのことを何も心配していません。

一粒万倍といって、春にまいた一粒のタネが秋には何倍もの実をつける、それが自然界というものです。ほんとにありがたいことに人間が生きていくために必要なものはこの世界の中にはすでに十二分に用意されています。

 得体の知れない不安や恐怖、不足感、欠乏感は一人一人の中にある分離意識が原因で、それを一人一人の中心にある万物創造の愛の意識にみんなが氣づいた時が、この世界はすべてが満たされていたんだとみんなが氣づく時、恐れや不安や恐怖は自分が創りだしていたんだ、そんなものはなかったんだと氣づく時。その時にはお金の価値がゼロになったとしても、もうそれは必要のないものになるでしょう。やはり人類が一つ上のステージに進むために今までのクリアすべき必ず通るべきステージには、お金というものが必要必然であったのだと思います。お金様、今まで本当にどうもありがとう。

…と散々偉そうなことを書きながらも、お金が必要な世界はまだまだ続く可能性もあるので、今現在どうやって現金収入を得て生活して行くかももちろん考えてます、笑。

古い地球から新しい地球へ 〜わが家のライフシフト計画〜

今までも、わが家では田んぼでお米をつくったり畑で野菜をつくったり薪でお風呂を沸かしたり薪で調理をしたり自給自足を意識してやって来たつもりですが、前々回ブログにも書いたように2022年には資本主義が崩壊すると仮定し、じゃあ2022年以降の世界にもスムーズに移行できるようにと、できるだけ今のシステムやお金に依存しないで生活するために、現在の家計の支出を今一度見直してみることを最近やりました。電気水道光熱費、通信費、食費、その他もろもろ現在の家計の一個一個を見直してみて、お金を使わずに自給できるものはないかをもう一度考えてみました。

その中でも自給できそうなものはやはり結構ありまして、味噌、醤油、塩、納豆、卵、魚(本気で釣りにいく)、井戸水雨水利用、太陽光発電、カマドづくりなどその他もろもろまだまだありました。もちろんとは言え現在は現金が必要な世界ですし、それがまだまだ続いていくこともあるので、どうやって現金収入を得るかももちろん考えています。

まあ、これからどんな大変化が起きようと、世の中がこの世界がどのように転ぼうとも、頭の中身だけでなく、実際の生活もスムーズに対応できるようにと、題して『古い地球から新しい地球へ 〜わが家のライフシフト計画〜』というものをつくり、今年中から来年の早いうちまでに実際に実行に移していこうと。以前ブログにも書いた自分改造計画のように、◯◯計画というのがどうやら好きなようですね(笑)。

以前までなら、世の中が激変し食糧危機が来るかもという少なからずの不安や恐怖心から自給自足をやろうと思ってた部分があったんですが、今は不思議と不安や恐怖はまったく無くて、ただただ純粋にワクワクした気持ちがあるだけなんです。自分の中心軸を意識してるからかもしれません。

それで、以前ブログにも書きましたが、卵を自給するため鶏を飼おうと、鶏小屋の建築をいよいよ始めました。以前もご紹介したこちらの本を参考に(→自然卵養鶏法)、5、6羽の鶏を飼うイメージで、大きさは直径2メートルの六角形の小屋を考えてます。

ネットで調べると、イタチなどの小動物が穴を掘って侵入し鶏を襲うことがあるそうで、まずは周りに穴を掘り、ブロックやレンガや石などを埋める作業から。

お米づくりの世界も二極化?!

現在の我が家の田んぼの様子です。自分が住んでる地域の周りの田んぼでは今年ウンカの被害がひどいです。ウンカとは、稲の大敵と呼ばれる害虫で東南アジアあたりから飛来してきて稲の養分を吸い枯らしてしまう虫です。農薬で駆除できるのですが数年たてば新しい農薬に耐性をつけその時に適切な農薬を撒いておかないと被害が出てしまいます。

今年の春頃、世界的にサバクトビバッタの蝗害で農作物がやられるニュースが飛び交っていて、今年の秋には日本でもどうなるか分からないなあと思ってたんですが、バッタは大丈夫だったけど、ウンカ被害が発生しました。

無農薬、無肥料の自然栽培ではウンカ被害はあまり出ないそうですが、友達が無農薬無肥料でやってる田んぼでも今年は被害が出ているそうで、自分の田んぼでも一部やられている箇所があり、来月の収穫まではまだまだどうなることやら、予断を許さない状況です。

自分の田んぼをよく観察すると、やられているところは水が流れ込みやすい水の多いところで、稲の根張りが弱いため生命力が弱いんでしょうね、過保護に甘やかしすぎました(笑)。この前来た二度の台風でもその箇所の一部が倒れてしまっています。

友達の話だと、黒米や緑米などの生命力の強い古代米はウンカ被害にあってないそうです。

農薬をたくさん撒いて被害を防ぐか、それとも虫にも負けない稲の生命力をとにかく高めていくか、お米づくりの世界でも二極化がやってきました。

自分は無農薬無肥料の自然栽培でやってますが、でも農薬を使う慣行農業を否定しません。大型機械、化成肥料、農薬を使う慣行農業のおかげで、今でも市場のお米の供給量は安定し誰でも安価でお米が食べられることができるのだから。これを大昔のように牛で耕してすべて人力でお米を作るとなると、その労力たるや想像を絶します、汗。今のように誰でもご飯を食べられる世の中ではなくなるでしょう。

2022年、資本主義崩壊?!


2003年頃に私生活で思うところがあり、それまでの自分を変えなければと急に思い立ち自分改造計画というものをつくり、タバコを辞めるとかテレビを見るのを辞めるとか本を年間300冊読むとかその他にもいろいろありましたが、とにかくそれまでの自分を変える計画を突然立てて一つ一つ実行していったということがありました。(今考えると生まれる前から何歳になったらそうしようと自分で決めていたような?!氣がします)

そしてその頃に読んだ本の中で、近い将来資本主義は崩壊するという内容を読み当時衝撃を受け、最初はそんなことあり得ないと思ってたのですが、でも1990年にベルリンの壁が崩れ共産主義も崩壊したのだし、人間のエゴを中心とした経済を発展させ続ける今の資本主義のシステムが続いていけば、その前に地球の自然環境は持たないだろうと思い、崩壊するのも悪くない、いやむしろ地球が優良星になっていくためには、今のシステムが崩壊することは必要必然だと思って生きて来ました。

2003年頃に近い将来資本主義は崩壊するなんてことを周りの人に言えば、可笑しなことを言う奴だな頭大丈夫?と思われていたと思いますが(笑)、2020年の今こういうことを言っても受け入れてくれる人は増えたんじゃないかと思います。

近い将来に崩壊すると言われも「それはいつなのか?何をすればいいのか?」2003年頃からはそんなことを考えながら生きてきました。2011年に東日本大震災が起き福島の原発事故が起きた時に、ついにやって来たかと思いましたがまだ違いました。そして2020年の今、自分だけじゃなく多くの人が感じているかと思います、もうそろそろなんじゃないかと。

(コロナのパンデミックをつくりだしそれを口実に、もはや資本主義の体すらなしていない行き過ぎた金融システムを一度リセットしようとしてる、そんな流れさえ感じます)

時間は直線軸ではなくスパイラルな螺旋上に流れていくものだと思っていて、歴史は繰り返すと言われますが、歴史や文明の周期は長いもので1600年とか800年、短いもので70年から80年だと言われてます。

今まで常識や当たり前だと思っていた事が一夜にして180度回転し非常識や当たり前でなくなる出来事が日本の歴史上にもあります。それは1868年の明治維新と1945年の第二次世界大戦の敗戦。自分なりの感覚と数字から考えると再来年の2022年がとても氣になります。2022年の77年前が1945年で、77年×2=は154年でちょうど明治維新の1868年なので。もし2022年に何も起こらなかったとしても2024年には新しい紙幣への切り替えが決まっていて預金封鎖も起こりえるし、あと食糧難も氣掛かりですし自然災害も。

しかも今度の変化は宇宙的規模で見ても新星地球への生まれ変わりというぐらい、どでかい変化、地球と宇宙の進化だと言われています。

とは言え決して恐怖を煽るわけではなく、それはより良い世界に行くためには避けられない、むしろ歓迎すべきことだと思っています。2003年頃からずっとそう思ってきました。

今まで通りでいい現状のままでいいと多くの人が変化を恐れるのは人間の習性。でも今よりもより良い世界に行くために新しい創造のためには、古いシステムの崩壊と変化は避けられないもの。

古い今までの常識や考えやシステムにしがみつくカチコチの頑固な頭ではなく、どんな変化が起きても驚かずしなやかに対応できるよう、とにかく頭の中身を柔軟に柔らかくいるように心がけたいものです。(自分に言い聞かせています)

柔軟な頭、それはこの大変化の時代にはとても重要で大切な無形財産だと思います。

不謹慎かもしれませんが、これから古いシステムの大崩壊と、とてつもない大変化が起きるかと思うと、その先にはいったいどんな世界がやってくるんだろうと個人的にはとてもワクワクしてます^ ^

自分の中心軸を意識して毎日をワクワク楽しく過ごす方法①

自分の中心軸とは何なのか?中心軸を意識して毎日暮らすとは?

その考え方はいろいろあると思いますが、自分なりの結論を簡単に言うと、今の自分が心地良いと思えるか思えないか、思えるならばそれは中心と繋がってる時なのかなと。

宇宙の真ん中にある、自分の真ん中にある万物創造の愛の意識と繋がっている時は、そこには不安も恐怖も恐れも悲しみも欠乏感もない、すべてが満ち足りていて全部ある、オールオッケー状態(バカボンのパパの口癖、これでいいのだ〜!)です。その状態や意識になって毎日暮らすことが中心軸を意識して暮らすことかなと自分では思ってます。

ではその状態やその意識になるためにどうすればいいのか?自分なりの考えでは身体的アプローチと精神的アプローチの二つがあって、身体的アプローチではどういうものがあるかと言うと、ありきたりな答えかもしれませんが…

・太陽を浴びる。

・深い呼吸をする。

・有酸素運動、身体を動かす、汗をかく。

・身体を緩め、巡りを良くし、身体の中心を整える(瞑想、ヨガ、自力整体など)

・とにかく笑う。お腹がよじれるくらい、笑

・大声で歌う。

…などなど

一つ一つ説明していきます。最初の「太陽を浴びる」ですが自分が言うまでもなく、この効果は昔から多くの人が言ってますが、太陽光を浴びると幸せホルモンのセロトニンが分泌される、ビタミンDが体内でつくられ骨が丈夫になるなどいろいろとあります。

 太陽を浴びることの効果にもう一つ自分なりの考えで付け加えておきたいのですが、それは宇宙は愛で出来ていたシリーズでも書いてきましたが、宇宙や人間を含むすべてのものは円形の循環するエネルギーであるという理屈から考えると、太陽系とは中心にある太陽を中心軸に循環する輪です。

 太陽系の中心軸の太陽と、一人の人間の中心にある中心軸とのチューニング(周波数、波動)を合わせる、ギターのチューニングを音叉で合わせるように。とかく人間というのは生きているといろいろあって(もちろん自分も)、ぶれたり落ちたりずれたりします。だから楽器のように時々正しいチューニングに戻してあげないといけません。太陽の高い波動に自分のチューニングを合わせる、これが太陽を浴びることの効果の一つではないかと。

太陽だけでなくその他の高い波動を持つもの、例えば動植物、イルカ、赤ちゃん、大自然の中、滝、巨木、神社仏閣、パワースポットと呼ばれる場所、などに身を置いたり触れあったりして自分のチューニングを合わせることも同じように効果的ではないかと。

…あぁ、このシリーズもまた長くなりそうなので、続きはまた次回に、笑